0 第5話 星座の先の景色

イジェンドの家に着く頃には、夜もすっかり深くなっていた。
扉を開けると、心羽は物珍しそうに中を見回した。

「ここがイジェンドの家なんだ。」
「ああ。」
「静かだね。」
「普段、一人だからな。」
それだけ言って、イジェンドは台所へ向かった。
「腹は減ってるか。」
「えーっと……そうかも。」
「なら食え。」

しばらくして、食卓に焼いたパンとシチューが並んだ。
「わぁ……!」
心羽は嬉しそうに手を合わせる。
「いただきます!」
一口食べると、頬が緩んだ。
「おいしい。」
「そうか。」
イジェンドはそれ以上何も言わず、自分の分を食べ始める。

しばらくして、心羽が口を開いた。
「ねえ、イジェンド。」
「なんだ。」
「今日は、ありがとう。」
「……何がだ。」
「いろいろと。昼間だって、私のこと助けてくれたし。さっきだって、剣を教えてくれたよね」
「別に。」
イジェンドはパンをちぎる。
「お前の剣が見てられなかっただけだ。」
「ふふっ。」
「笑うな。」
「だって、イジェンドらしいなって。」
「どういう意味だ。」
「なんとなく。」
心羽は楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、イジェンドは小さく息を吐いた。

「なあ。昼間のことだが……。」
イジェンドは心羽を見る。
「お前、あの子供に何をしていた。」
「え?」
「火花を出していただろ。」
「ああ、あの時の。見られてたんだ…。」
心羽は少し恥ずかしくなる。
「元気にしたかったから。」
それから、昼間の少女のことを話しはじめた。
「……あの子ね、最初はずっと泣いてたんだ。」
何をしてもなかなか笑ってくれなかったこと。
それでも何とか笑わせたくて、火花を見せたこと。
最後には母親が迎えに来てくれたこと。
心羽が話している間、イジェンドは一度も口を挟まなかった。
「……。」
「でも、最後には笑ってくれた。」
心羽は嬉しそうに笑う。
「よかったな。」
思わず口から出た言葉に、イジェンド自身がわずかに目を伏せた。
「うん!」
心羽は気づかない。

「私ね、あの子を見てたら、前の自分を思い出したの。」
心羽は、少し遠くを見るような目をした。
「私も、落ち込んで泣いてたことがあったから。」
「その時、隣にいてくれた人がいてね。ずっとそばにいて、寄り添ってくれて……すごく嬉しかったんだよね。」
「だから私も、そんな人になりたいって思ったんだ。」
イジェンドは黙って聞いていた。
「泣いてる人がいたら、そばにいてあげたい。困ってる人がいたら、力になりたい。」
心羽は少し笑う。
「そういうことができる人になるのが、私の夢。」
「……そうか。」
「うん。」
心羽は頷いた。
「だから今日、シエルからイジェンドの話を聞いて、思ったの。イジェンドみたいに強くなれば、もっとたくさんの人を助けられるんだよね。」
心羽は、まっすぐイジェンドを見る。
「だったら私、二人目のイジェンドになりたい。」

イジェンドは黙って心羽を見ていた。
以前なら、こんなガキの言葉などまともに聞こうとはしなかっただろう。
自分勝手で、わがままで、周りのことなど考えない。ガキなんてそんなものだと思っていた。
だから嫌いだった。
けれど――目の前の少女は、少し違うらしい。

「……二人目、か。変なやつだな、お前は。」
「えっ、また?」
心羽が頬を膨らませる。
「今日、何回も言われてる気がする。」
「気のせいだ。」
「絶対気のせいじゃないよ。」
心羽が笑う。
「もう寝ろ。部屋は二階だ。」
イジェンドが立ち上がり、食器を片付けて部屋を出ようとする。
その背中を、心羽が見送る。

「……ん?」
その瞬間だった。
イジェンドの背中に、淡い光が浮かんだ。
ひとつ。またひとつ。
星が夜空に浮かぶように、いくつもの光が現れていく。
星と星が線で結ばれ、ひとつの星座を形作った。

心羽の耳に、声が届く。
「お兄ちゃん!」
幼い女の子の声だった。
「……えっ」
次の瞬間、目の前の景色が消えた。
「お兄ちゃん、見て!」
知らない部屋。
そこには、一人の少年と小さな女の子がいた。
女の子が、嬉しそうに少年のもとへ駆けてくる。
その髪は、少年と同じように後ろでひとつに結ばれていた。
「私も、お兄ちゃんみたいになるの!」
「……そうか。」
少年の声。
この声は――。
「イジェンド……?」
景色が弾けるように消えた。
気づけば、元の部屋に戻っていた。

「どうした。」
イジェンドが不思議そうにこちらを見ている。
「……ううん。」
心羽は首を振った。
「なんでもない。」
「そうか。」
イジェンドはそれ以上聞かなかった。
「じゃあ、早く寝ろ。」
「はーい。」

イジェンドが部屋を出ていく。
心羽は、その背中を見つめた。
さっきの少女は、もうどこにもいない。
星座も消えている。
「……なんだったんだろう。」
そう呟いて、ふと手を見る。
いつの間にか、両手の中に何かがあった。

大きな星形の結晶。
燃えるような赤い光を湛え、先ほど見た星座が、中できらきらと瞬いている。
心羽はそれをじっと見つめた。
「これも……私の魔法?」
燃える星は、答えるように静かに輝いていた。

︎︎⟡

翌朝。
イジェンド邸の庭に、乾いた音が響いていた。

「……やぁっ!」
心羽が両手で剣を振り上げる。
――振り上げようとした。
剣先はほとんど動かず、心羽の身体だけが後ろへ傾く。
「わっ……!」
尻餅をつきそうになり、慌てて踏みとどまる。
「……重い。」
手にしているのは、イジェンドから渡された剣。
彼が昔使っていたものらしく、今朝、練習に使っていいと言って貸してくれたものだ。
その後、イジェンドは影魔狩りに出かけていった。
「けどこれ、どうやって振るの……?」
心羽は剣を見つめる。
両手で抱えれば、なんとか地面から浮かせられるようにはなった。
けれど、とても振れるような重さではない。
「イジェンドは、これを振り回してるんだよね……。」
改めて思うと、とんでもないことのように思える。
それでも心羽は剣を握り直した。
「もう一回。」
腰を落とし、足を開く。
両手に力を込めて――。
「んんん……!」
剣先が、ほんの少しだけ持ち上がった。
「……よし。」
その時だった。

「ピィッ!」
頭上から、小鳥の声がした。
「ん?」
心羽が顔を上げる。
一羽の小鳥が庭へ降りてきた。
心羽の周りをくるくると飛んだあと、目の前の柵にちょこんと止まる。
「どうしたの?」
小鳥の足には、小さく折り畳まれた紙が括り付けられていた。
「お手紙?」
心羽は剣をそっと地面に置き、小鳥を驚かせないように近づく。
「見せてね。」
足から紙を外して広げる。
そこには、流れるような筆跡で文字が並んでいた。
「これは……シエルかな。」

『親愛なる旅人よ。キミのその心意気を見込んで、ひとつお願いがあるんだ。
西の門の近くで影魔の気配があってね。このままだと街に入ってくるかもしれない。よければ現地へ様子を見に行ってはくれないかな。
もちろん、タダ働きというわけにはいかないさ。報酬はきっちり用意しておくよ。
道案内は、その子に聞いてみて。』

「影魔……。」
心羽の表情が変わる。
「行かないと。」
心羽は地面に置いた剣を見つめた。
「これは帰ってきてから練習しよう。」
心羽は手紙を折り畳み、ポケットへしまった。
「案内してくれる?」
「ピィ!」
小鳥が翼を広げる。
心羽もその後を追うように、庭を駆け出した。

小鳥のあとを追い、街を駆け抜ける。
賑わう商店街の間を縫って走り、西の門をくぐる。
少し進んだところで、小鳥がふいに地面へ降り立った。

「ここ?」
「ピィ!」
小鳥は一声鳴くと、翼を広げて飛び去っていった。
「案内ありがとね!」
心羽は手を振って見送る。

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