0 第6話 模倣の魔法使い
この辺りには草原が広がっていた。
その先には森があり、木々の間から朝の光が差し込んでいる。
街からはそんなに離れておらず、喧騒がここまで聞こえてくる。
心羽は森の方へ目を向けた。
シエルの手紙には、影魔の気配があると書かれていた。
けれど、今のところ、それらしい姿は見えない。
「昨日みたいに、たくさんいたらどうしよう……。」
胸の奥が少しざわつく。
あの時の光景がまだ頭から離れない。
辺りを見回すと、丈夫そうな枝が落ちていた。
心羽はそれを拾い上げる。
「剣は重くて持ってこられなかったから……。」
両手で握る。
昨日、イジェンドに教えてもらった持ち方を思い出す。
手首を固めすぎない。足を開いて、腰を落とす。
「これなら……。」
心羽は枝を構え、森の方を見つめた。
「……ん?」
木々の間に、何かが動いた。
黒い影がひとつ。
ゆっくりと森から姿を現し、こちらへ向かってくる。
「影魔……!」
心羽の身体が強張る。
影魔は真っ直ぐに草原を進んでいく。
その先にあるのは、西の門。
「街に……行く気なんだ。」
影魔が、また一歩進む。
心羽は枝を握り直した。
「……させない。」
怖い。けれど、ここを通したら、昨日と同じことになる。
心羽は影魔の前へ駆け出した。
「やぁっ!」
枝を振り下ろす。
しかし、影魔の腕がそれをあっさりと弾いた。
「わっ!」
よろめきながらも、心羽はすぐに立て直す。
「もう一回!」
横薙ぎ。しかし、枝は影魔に届かず空を切る。
「えいっ!」
今度は正面から振り下ろした。
その瞬間。
ぱきん。
乾いた音がした。
「……え?」
枝が、真っ二つに折れていた。
「うそ……。」
心羽は折れた枝を見つめる。
影魔は止まらない。
「待って!」
心羽は折れた枝を投げ捨て、影魔の前へ回り込む。
「こっちに来ないで!」
両手を伸ばす。
「イジェンドの魔法……!」
指先から、赤い火花がぱちぱちと溢れる。
「はぁっ!」
放つ。たくさんの火花が影魔に飛んでいく。
しかし、それらは影魔に触れた瞬間、あっけなく消えていった。
「そんな……!」
また一歩、後ろへ下がる。
さらに一歩。気づけば、西の門がすぐそこまで迫っていた。
「……!」
心羽は振り返る。
その向こうには、たくさんの人がいる。
「……だめ。」
心羽は唇を噛んだ。
もしここで影魔を食い止められなければ……。
影魔はゆっくりと近づいてくる。
どうしよう。止められない。それは嫌だ。でも……!
昨日の光景が蘇る。
たった一人で、影魔の群れを押し返していたイジェンド。
怯える人たちの前に立ち、その背中で街を守っていた。
そして昨夜、自身が口にした言葉。
二人目のイジェンドになりたい。
「……私も。」
小さく呟く。
影魔が迫る。
心羽は震える手を握りしめた。
「私も、イジェンドみたいになれたら……!」
その瞬間、ポケットの中が熱くなった。
「……え?」
心羽が手を入れるより先に、隙間から赤い光が漏れ出す。
取り出したのは、昨夜手にした星座の結晶だった。
「これ……。」
見つめているうちに、結晶の中からひとつの星が浮かんだ。またひとつ。さらにひとつ。浮かんだ星々を、細い光が次々と結んでいく。
目の前に、ひとつの大きな星座が浮かび上がった。
「なに、これ……!」
心羽は息を呑む。見覚えがあった。
昨夜、イジェンドの背中に見えた星座。ずっと見ていたその姿に、もう届く距離。
心羽は思わず手を伸ばした。指先が星座に触れる――。
その瞬間、ぱあっと光が溢れ出した。
心羽の身体を包んでいく。
衣服が光へ溶け、黒い外套を身体に纏う。
黒のロングブーツ。分厚いグローブ。
首元には、翡翠のネックレス。
短かった髪はいつの間にか長く伸び、高い位置でひとつに結ばれている。
「……これって。」
心羽は自分の姿を見下ろした。
何度も憧れたイジェンド。
その姿を、自分が身にまとっている。
「イジェンドみたい……!」
胸の奥が、ぱっと明るくなる。
「これなら……!」
顔を上げると、影魔が駆け出していた。
「わっ!」
心羽はとっさに両手を前へ突き出す。
「えいっ!」
手のひらから、炎が広がった。
それはもう、昨日までの火花ではなかった。
赤い炎が渦を巻きながら大きく膨らみ、目の前を一瞬で埋め尽くす。
炎はそのまま、迫ってきた影魔に直撃した。
「……えっ?」
影魔も怯まずにはいられず、数歩後ずさる。
心羽は目を丸くした。
「……すごい。」
自分の手を見る。
さっきまで、一度も燃え広がらなかった炎が。
今はこんなにも大きく燃えている。
「これ……私の魔法?」
影魔が体勢を立て直した。
「来る……!」
心羽は身構えた。
その瞬間、炎が両手の中で何かを象ってゆく。
「え?」
炎が両手からまっすぐ伸び、一本の柱のように立ち上がった。
「今度はなに……?」
長く、鋭く伸びていく炎。
やがて炎は、柄を形作った。
その先に、鍔が生まれる。
そして――。
赤く燃え盛る刀身が、炎の中からゆっくりと姿を現した。
「……剣だ。」
見覚えがある。昨日、何度も見たもの。
「イジェンドの剣……!」
次の瞬間、ずしんと両手に重みがのしかかる。
「うわっ!?」
身体がぐらりと傾く。
「お、重い……!」
昨夜は少し持ち上げるだけで精一杯だった大剣。
けれど今は、両手で握り直すことができる。
「イジェンドは、これを振ってたんだ。」
心羽は柄を握り直した。
「だったら、私だって……!」
全身の力を込め、勢い任せに剣を振り上げる。
「やぁぁぁっ!!」
剣が持ち上がった。重さに身体が持っていかれそう。
それでも、今の身体なら無理やり押し切れる。
「上がった!」
そのまま、剣の重みに身を任せて振り下ろす。
「やぁっ!」
ガンッ。
大剣が影魔を打ち据えた。
重く、確かな手応えが返ってくる。
「いける……!」
心羽は剣を構え直した。
昨夜、イジェンドに教えてもらった構え。
足を開く。
腰を落とす。
手首を固めすぎない。
「……こう。」
影魔が飛びかかってきた。
「やぁっ!」
剣を振るった。
刀身から勢いよく炎が噴き出す。
「わっ!?」
自分が出した炎に、心羽自身が驚く。
剣筋は避けられたが、炎が影魔の身体を掠めた。
影魔が大きく身をよじる。
「当たった……!」
剣の重さに身体を振り回されている。
でも、戦えている。
もう一度。炎を纏わせて、剣を振るう。
影魔は後ろへ飛んで避ける。
「逃げないで!」
燃え広がる炎も、上手く当たらない。
それでも――。
「もう一回!」
さらに踏み込んで、力いっぱい振り下ろす。
「やぁぁぁっ!」
その瞬間、勢い余って剣がすっぽ抜けていった。
「あっ」
大剣は勢いよく飛んでいき、逃げる影魔に突っ込んでいく。
ドゴォンッ!
大きな爆音が響いた。
剣が影魔に直撃した瞬間、刀身が炎へとほどけて爆発を起こした。巻き込まれた影魔が大きく吹き飛ばされる。
「……え?」
心羽は思わず目を丸くする。
ふらつきながら立ち上がった影魔は、森の奥へ逃げていった。
心羽は呆然と、影魔の背中を見つめていた。
「逃げた……?」
自分でも、何が起きたのかよくわからない。
ただ、影魔は居なくなった。
「私も、守れた……。」
胸の奥から、じわじわと嬉しさが込み上げてきた。
「イジェンドみたいに、誰かを守れた……!」
心羽はぎゅっと両手を握りしめた。
まだ剣術も未熟だった。
炎もまともに制御できていなかった。
それでも、心羽は嬉しかった。
二人目のイジェンド。
昨夜、自分で口にした夢。
その姿に、少しだけ近づけた気がした。
「……よし!もっと頑張らなくちゃ!」
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