0 第2話 有翼の案内人

朝の森を、一陣の風が駆け抜けた。
ざわり、と木々の葉が揺れ、心羽が見上げる。
青空を、大きな影が横切った。
「え……?」
翼だった。
人よりも遥かに大きな白い翼が、朝日を受けて眩しく輝いている。
それは心羽めがけて一直線に降下してくる。
「えっ!?」
激突する――そう思った瞬間。
ふわり、と大きく翼が広がった。
風の波が草花を揺らし、羽ばたきが静かに響く。
目の前へ降り立ったのは、一人の少年だった。
整った顔立ち。背中には、まだ畳みきれていない純白の翼。
「わあ……。」
心羽は思わず息を呑んだ。その姿はまるで、物語から飛び出してきたかのよう。

少年はこちらを見やり、微笑む。
「やあ。キミが森の迷い子さんだね」
鳥の囀りのような、穏やかで澄んだ声が響く。
「えーっと、あなたは…?」
「ボクはシエル。キミを迎えに来たんだ」
その少年は、背に携えた大きな翼を畳みながら和やかに続けた。
「イジェンドから話は聞いてるよ。でも、彼ったら肝心なことを聞いてなかったんだ。」
少し困ったように笑って肩をすくめる。
「キミの名前を教えてくれるかな。」
「私、燎星心羽。」
シエルは一瞬、不思議そうに目を輝かせた。
「心羽って呼んで。」
心羽は小さく胸に手を当てた。
「ココハ。」
シエルはその名前を反芻する。
「へぇ。開けた空みたいな響きだね。よろしく、心羽!」
心羽は思わず笑みをこぼした。
「うん!」

「さあ、行こうか。」
シエルは軽やかに手を差し出した。心羽が自然と手を取ったそのとき、シエルは目を細めてニッと笑った。
「大空を見せてあげる!」
次の瞬間。
ふわり。身体が持ち上がった。
「えっ!?」
いつのまにか、シエルの腕が心羽を抱えあげていた。
「ちょ、ちょっと!?」
「しっかり掴まって!」
心羽は慌ててシエルへしがみつく。
大きな翼が力強く羽ばたいた。
全身を風が包み込み、木々が一気に遠ざかる。

「わぁぁぁぁ!?」
風が髪を攫う。森が、小さく、小さくなっていく。
開けた視界に、いっぱいの青空が広がる。
「すごい…私いま、空を飛んでる…!」
「ふふっ、風を掴む感覚、気持ちいいでしょ。」
シエルが軽く旋回すると、森の向こうに大きな城と城下町が姿を表した。
「あれがユール城下町。ボクの自慢の街さ」
シエルは前傾姿勢になると、速度をあげて羽ばたいた。

⟡

城下町が近付くにつれ、人々の姿が少しずつ大きく見えてくる。
石造りの建物が立ち並び、赤茶色の屋根が朝日に照らされていた。広場には露店が並び、人々が行き交っている。
シエルは翼を大きく広げ、速度を落とした。
「そろそろ着くよ。」
ふわり、と石畳へ舞い降りる。翼が生む風に、人々の髪や服がふわりと揺れた。

「おかえり、シエル!」
誰かが手を振る。
「ただいま。」
シエルも軽く手を振り返した。

ようやく地面へ足が着いた心羽は、まだ少し足元がおぼつかない。
「気持ちよかったぁ……!」
まだ身体が風を覚えている。
胸が少しだけ浮いているような、不思議な感覚が残っていた。
「ふふっ。」
シエルが嬉しそうに笑う。
「キミみたいに、飛ぶことを楽しんでくれる人は珍しいよ。」
「だって、本当に飛んでたんだもん!」
心羽は興奮が冷めない様子で両手を広げる。
「夢みたいだった!」
その様子を見て、シエルもつられて笑った。
「気に入ってもらえてよかった。」

焼きたてのパンの香りが風に乗って流れてくる。
心羽はようやく辺りを見回した。
石畳が続く広場。色とりどりの看板。並ぶ露店。人々の笑い声。
「焼きたてだよ!」
「今日は果物が安いよ!」
元気な呼び声が朝の街へ響いている。
「……すごい。」
森とはまるで違う。
全く知らない景色が、目の前に広がっていた。

「おや、シエルじゃないか!」
パン屋の店主が店先から声を掛ける。
「今日は森まで?」
「うん。旅人さんを迎えにね。」
店主は心羽を見てがははと笑った。
「それなら、まずはうちのパンを食べていきな!」
「この人、誰にでも最初はこんな感じ。」
シエルが肩をすくめる。
「商売人だからな!」
店主も負けじと胸を張る。心羽は思わず笑った。
「じゃあ……ひとつください!」
「毎度!」
店主は焼きたてのパンを紙へ包み、心羽へ差し出した。
「お代はボクが出すよ。」
焼きたてのパンを受け取り、二人は歩き始めた。

︎︎⟡

「そうだ。」
服屋の前で、シエルがふと足を止める。
「その服だと、旅人ってすぐ分かっちゃうね。」
店先には可愛らしい服が並んでいる。
心羽は目を輝かせながら見て回り、最終的にクラシカルなジャンパースカートを選んだ。
「どうかな…?」
着替えて店から出ると、シエルは優しく頷いた。
「うん、よく似合ってる。これで街にも馴染めるね」
心羽は嬉しそうにスカートの裾を摘まんだ。

︎︎⟡

そのまま商店街を歩いていると、一羽の小鳥が羽ばたきながらシエルの肩へ止まった。
「おや、おかえり。」
シエルはごく自然に話しかける。
「チチッ、チチチッ!」
シエルは耳を傾けるように目を閉じる。
「……そっか。」
表情が少しだけ揺れた気がした。
「ありがとう。彼に伝えてくれるかい。」
頭を優しく撫で、白い羽を二枚渡す。
「チチッ!」
小鳥は羽を咥えたまま空高く飛んでいった。

「今、お話してたの?」
「うん。」
「鳥さんと、本当に?」
心羽は目を丸くする。
「もちろん。」
シエルは得意げに笑う。
「鳥たちは空から町中を見てるからね。案外、ボクより物知りなんだ。」
「何を話してるの?」
「美味しい木の実がある場所とか、パンくずをたくさん拾える場所とか。」
「ふふっ。」
「今朝は『知らない子が森で寝てる』なんて話もしてたたかな。」
「そんなことまで?」
「鳥たちは意外と噂好きだからね。」
心羽は感心したように頷く。
「じゃあ、名前もあるの?」
「ある子もいるよ。」
シエルは少し考える。
「でも鳥同士は鳴き声で呼び合うから、人間にはちょっと難しいかな。」
「さっきの子は?」
「えーっとね。」
シエルは喉を鳴らし、本物の小鳥と見分けがつかないほど澄んださえずりを発した。
「――っていう名前。」
「えぇー!その声どこから出てるの!?」
シエルはいたずらが成功した子どものように笑った。
「ふふっ。内緒だよ。」

少し歩いてから振り返る。
「そうだ。せっかくだし、ボクのお気に入りのカフェで少し休もうか。」

︎︎⟡

二人は通りに面したカフェテラスへ腰を下ろした。
店員が運んできた果実ジュースを一口飲み、心羽は目を輝かせる。
「おいしい!」
「でしょ?ここのおすすめなんだ。ほどよい甘さで飲みやすくて。」

心羽はジュースを両手で持ったまま、向かいに座るシエルを見つめる。
「そういえばさ。」
「ん?」
「街を歩いてて思ったんだけど、翼があるのってシエルだけなんだね。」
「あ、気付いた?」
「森で会った時は、翼がある人が普通にいるんだと思ってた。」
「ああ、そういうこと。」
シエルは得意げに胸を張る。
「すごいでしょ。ボクだけの個性だよ。」
「シエルだけの特別なもの?」
「うん。だってほら、ボクの前世って鳥じゃん。」
「えっ!?」
目を丸くする心羽。シエルは口元へ人差し指を当てる。
「ここだけの秘密だよ?」
「もう、本当なのか冗談なのか分かんないよ。」
心羽は小さく笑った。

少しして、シエルがジュースを置く。
「そういえば、ボクも聞いていいかな。」
「なに?」
「キミは、どこから来たの?」
「朝憬市。」
「……アカリシ?」
シエルがその言葉をゆっくり繰り返す。
「初めて聞く地名だね。」
「そうなの?日本にある街だよ。」
「……ニホン。」
シエルはその言葉を確かめるように呟いた。
「その朝憬市って、どんなところ?」
「星がきれいな街だったよ。夜になると、空いっぱいに見えるの」
シエルは窓の外へ視線を向ける。
「へぇー、それは素敵だね。」
「うん!」
心羽が頷いたその時。

――ドンッ。
地面が大きく揺れる。
食器が震え、ジュースの表面に波紋が広がった。
続いて街の奥から悲鳴が響く。
「きゃああっ!」
「逃げろ!」
声の方を振り返る。
商店街の入口から、影魔の群れが雪崩れ込んできていた。
露店の商品は蹴散らされ、木箱が宙を舞う。
店主は商品もそのままに店内へ飛び込み、母親は幼い子どもを抱えて建物の奥へ駆け込む。
次々と扉が閉まり、慌てて人々が逃げ惑う。

0

メモを他の人に見せる

このメモを見せたい人に、このURL(今開いているページのURLです)を教えてあげてください

コメント(1)